一般質問の要旨  (平成29年9月)

質問者 議席番号 1番  守 岡  等  議員

 


1 いじめ問題の克服について

 子どもたちがいじめを苦にして自死するといういたましい出来事に対し、私たち大人は二度とこうした悲劇を繰り返してはいけないという気持ちを強くしてきました。しかし、それでも悲劇は後を絶たず、県内でも同様の悲劇が発生しています。また自死に至らなくても深刻ないじめは市内でも起きており、悩み苦しむ子どもたちがいることに思いをはせなければなりません。

 今日のいじめ問題は、誰もが被害者になり得るし、加害者にもなり得るという特徴を持っています。また、秘密性が高く、なかなか他者の目に明らかにならないという問題点もはらんでいます。

 いじめの構造を研究している精神科医の中井久夫氏は、いじめにより人間が奴隷化される3つのステップを明らかにしています。第一に、いじめのターゲットを決める孤立化、第二に、ひどい暴力とおどしが行われる無力化、そして、第三の、透明化という自分が見たくないものは見えなくなるという心のメカニズムにより、いじめが深刻な問題として顕在化しない構造を指摘しています。

 また、社会学者の森田洋司(ようじ)氏は、「いじめの持続や拡大には、いじめる生徒といじめられる生徒以外の『観衆』や『傍観者』の立場にいる生徒が大きく影響していて、『観衆』はいじめを積極的に是認し、『傍観者』はいじめを暗黙的に支持し、いじめを促進する役割を担っている」といういじめの四層構造を指摘しています。あるいは、この四層構造がさらにひどくなり、「一人」対「クラス全体」という構図が典型的ないじめパターンになっていることも指摘されています。

 つまり、多かれ少なかれ、すべての子どもたちがいじめに関わっているわけであり、こうした状況の中で、子どもたちはいつ自分が仲間から孤立するのかわからないという不安を抱えながら、常に周りに対して気を配り、同調のメッセージを送り続けているという状態にあります。悩みや困りごとが生じたときに友だちに相談するのではなく、友だち関係を維持するためには友だちだけには本音が言えない、常に空気を読んで波風立たないようにすることを強いられているのが今日の子どもたちです。こうした人間関係の中で、いじめは「透明化」され、深刻な事例が起きた後でも、当事者自身が危機意識すら持っていないということにつながっているようです。

 このようないじめが社会問題になる前に、1990年代半ば頃からいわゆるキレ子ども、心を閉ざす子どもたちの存在が問題になっていました。これまでのルソーのいう性善説的な子ども観は通用しなくなり、学校の教員たちは学級崩壊というこれまで経験したことのない事態に遭遇することになりました。

 いじめの社会背景は今後深く研究しなければならない課題ですが、競争原理が子どもたちに大きなストレスを与えていることは国連の報告書が明らかにしています。いじめに対する国連からの勧告第1回総括的所見では体罰禁止、いじめ防止措置が不十分と指摘し、2004年の第2回総括的所見では、過度に競争的な性格が健全な発達に悪影響を与え、発達を妨げるとし、2010年の第3回目の所見では、高度に競争的な学校環境がいじめ、自死などを助長している可能性があると重要な勧告を行っています。

 また、学校環境だけでなく、保護者を取り巻く環境も大きく変わっています。構造改革の名のもと非正規雇用の拡大など格差・貧困が拡大し、成果主義の下で連帯の意識が低下し、むしろ弱者を攻撃する風潮が高まっています。このような社会環境が子どもの心に与える影響も看過できません。

 いじめ対策の中心を担うのが学校ですが、学校の教員をめぐる環境も大きく変化しています。常に子どもたちに寄り添い、その変化を察知し、機敏な対応が求められる教員が、十分子どもたちとふれあえないという問題があります。

 2016年教員勤務実態調査によれば、中学校教諭の1日の平均勤務時間は、平日で11時間32分、土日で3時間22分で、過労死ライン(残業月80時間)に達する計算になる週60時間以上勤務した教員は57.6%、うち過労死ラインの2倍に相当する週80時間以上は8.5%にも上っています。業務別で見ると部活動・クラブ活動が2時間10分と前回調査よりも倍増しているのが特徴的です。

 30数年間教員を務めたある退職教員は「いまの先生は様々な仕事に追われて余裕が全くない。子どもたちの問題を話している実感でいえば、教員になったときと今とでは10対1ぐらい違う」と話しています。

 こうした中、国は2013年にいじめ防止対策推進法を定め、いじめ防止の基本理念、関係者の責務などが明記されました。基本的施策・いじめ防止に関する措置として@道徳教育の充実、A早期発見措置、B相談体制の整備、Cインターネット対策、D人材育成、E調査研究、F啓発活動などを定め、学校に専門家などによる組織を置くこと、個別のいじめに対する学校の講ずべき措置や警察との連携、懲戒・出席停止などの措置を明記しました。

 こうした対策は時宜にかなったものと評価されますが、しかしその後もいじめ自殺事件は後を絶たず、実効性のあるものにするために現場から問題提起していく必要があると考えます。

 その中でもとりわけ厳罰主義と道徳主義の問題が重要だと考えます。今日のいじめ自殺問題が大きくクローズアップされた契機となった大津市の中学校は、2年間にわたり文部科学省が認定する道徳教育実践研究事業推進校だったそうですが、学校や家庭でストレスを抱え暴走する子どもたちに、上から目線で規範意識を身につけさせようとしてもいっそうストレスをため込むだけであり、いじめ問題の解決にはつながらないということを示したのではないでしょうか。いじめ防止対策推進法でも、「いじめはいけないという意識は自らが社会を構成する当事者だという当事者意識、市民意識によって育んでいくべきもの」とあり、こうした方向性で道徳性を培っていく必要があります。

 厳罰主義について、いま暴力を受け苦しんでいる子どもたちを救済することは何よりも優先されることであり、いじめを受けている子どもたちといじめる側の子どもたちを分離することは当然必要なことです。また、いじめの犯罪性を理解しない子どもたちがいることから、暴力を振るえば傷害罪、金銭を要求すれば恐喝罪で罰せられ、少年刑務所送致もあり得ることを理解させる必要があります。しかし、加害生徒に懲戒・出席停止などの厳罰を与えるだけでは問題の解決にはならず、またどこかで同じ構造のいじめが発生することは必至です。いじめが発生したら、地域や学校での取組につなげ、そこから子どもたちの主体的な取組を引き出す方向で活用することが重要です。いじめの問題、対人トラブルを学びに転化させ、そうした学びを通して子どもたちの成長を図る、「第二の誕生」の援助を行うのが教育というものではないでしょうか。

  いじめ問題を解決するためにソーシャルボンド(社会的絆)理論が注目されています。この理論では、人が犯罪を犯さないのは社会とのしっかりとしたボンド、すなわち絆があるからであり、この絆が弱まったときや壊れたときに犯罪や逸脱行動が起きるとするものです。社会的絆は様々なものがあります。学校の伝統への誇り、部活動、仲間、学校の授業など自分が愛着を持っているもの、失いたくないもの、打ち込んでいるものなど社会的絆が大きいほど社会や学校との結びつきが深く、問題行動は発現しにくくなるといわれています。いま、本市の小中学校で取組まれている運動会や学習発表会、合唱祭などはまさに社会的絆を強くするものとして大切にしなければならないものです。こうした社会的絆を大切にして、いじめがあって当然という風潮から、いじめは克服しなければならないという風潮へ、道徳性の育成を図っていくことが重要です。

 今の子どもたちが様々なジレンマを抱える中、いじめ問題と共通した構造を持つものに不登校の問題があります。私は何人かの不登校の児童生徒を知っていますが、部活の仲間やクラスメートの支援で二人の不登校を改善した事例を知りました。児童生徒が自主的に(当然先生からの働きかけも継続していましたが)声をかけ、励まし合って授業や部活に参加するようになったとのことです。このことは子どもたちの持つ共感性、社会的絆の存在を如実に示し、いじめについてもその力は発揮されるのではないでしょうか。

 いま、いじめ問題の解決のために道徳教育の強化がうたわれていますが、道徳規範を上から押しつける道徳教育ではなく、自分たちで社会的絆を確信し、「人は信じ合える」「自分も他人も生きる価値がある」「幸福な世の中をつくることができる」という普遍的な価値観を身につける中で社会的連帯の意識を高めることが、いじめ克服に結びつくのではないかと思っています。

 こうした問題意識に立って、本市でいじめを克服する学校教育・市民社会をつくりあげるために、以下の事項について問題提起するものです。

(1) いじめ防止条例の制定

   本市において、いじめ防止条例を制定することを提案します。本市においても2015年度(平成27年度)121件のいじめ認知件数が報告されています。いじめにあった子どもたちは一生深い傷を負いながら生きていかなければなりません。いじめをした側も、ひょっとしたら深刻な罪の意識がないままゆがんだ成長を続けるかもしれません。

   本市「学校教育の重点」でもいじめ対策があげられていると思いますが、いま、いじめ問題が社会の重要な問題になる中、本市においてもいじめ問題を重要課題として位置づけ、社会全体で取組むべき課題であることを市民にアピールしていく必要があります。また、子どもにはいじめられずに安全に生きる権利があり、それを保障するための行政や公教育の責務を明確にしなければなりません。さらに、子どもの命を最優先にする安全配慮義務を明確に定め、全教職員の情報共有と対応、子どもの自主活動の強化、加害者対応などいじめ対策の具体的対策を確立していく必要があります。

   国の方でも2013年(平成25年)に「いじめ防止対策推進法」を制定し、地方公共団体に対して地域の実情に応じていじめの防止施策を講じる責任があることを定めました。

    いま、いたましい事件をきっかけに、加害者へ道徳規範を注入したり、厳罰を与えることがいじめ対策の中心課題とする風潮が目立つ中、「人権意識」を中心に据えて、自己肯定感を育むことが自分を愛し、他人を愛することにもつながるのだということを基調にした条例も増えつつあるようです。

   私は、悲惨ないじめ事件を繰り返さないためには、いじめ加害者の研究と対応をしっかりとすべきだと思います。いま研究者の間からは、いじめ加害者の多くは、家庭に問題を抱えており、愛情や共感を育むことができないまま成長し、そのことで不満やいらだちを募らせ、その不安やストレスが、学校で他の子どもへの攻撃性となって現れ、それがいじめになっていることが指摘されています。いじめの加害者も本当は困っている子なのです。

   こうしたことに鑑みて、本市において、人権意識を柱に据えたいじめ防止条例を制定し、いじめの被害者・加害者それぞれの対策を講じ、悲惨ないじめ事件を出さない、いじめを克服する学校生活、市民生活をつくりあげることを提案します。

(2) いじめ対策の強化

   人権意識を柱に据えた条例の下で、以下のような具体策に取組むことを提案します。

ア いじめを発見する仕組みづくり

    いじめが顕在化しない理由として、いじめられている事実を知られるのが怖くて恥ずかしい、相談してもほったらかしにされる、「ちくるな」という言葉はどんな言葉よりも恐ろしい、といったことがあげられます。大津市の事件でも、被害者に対して担任が何度も「いじめられていないか」と働きかけを行っていたそうですが、本人はがんとして認めようとしなかったそうです。いじめのSOSがキャッチされる確率の低さは「太平洋の真ん中の漂流者」を見つけるのと同じくらい難しいという学者もいます。しかし、いじめられている子やそれを傍観している子どもたちは、本当は誰かに気づいてほしい、誰かに相談したい、「傍観者」から「仲裁者」に転換したいという気持ちを持っています。子どもの心の中にあるSOS、共感性を引き出すことは至難の業ではありますが、その気持ちに応え、いじめを発見するために次の取組を提案します。

    第一に、匿名アンケートの実施です。現在記名アンケートは実施しているそうですが、いじめ問題に関しては匿名で実施することが必要です。

    第二に、匿名の手紙を受け取る仕組みが必要です。郵便ポストのようにさりげなく悩んでいる子どもたちが他人の目に触れないように手紙を出せるような仕組みづくりが必要です。

    第三に、教育委員会に専用相談Webページを開設することです。現在各学校のホームページ開設について研究中とのことですが、それを待たずに専用の相談Webページを開設し、メールで相談するシステム整備を早急に図る必要があります。

    このように匿名で安心していじめを報告・相談できる仕組み・環境を整備し、いじめの早期発見に努めることを提案します。

イ 教員の「寄り添い」研修の実施

  いじめを克服する豊かな教育実践を調べる中で、実際に自分の子どもがいじめられた経験を持つ母親の手記を読むことができました。その母親はまず、いじめられた子(すなわち自分の子ども)に対して友だちが寄り添うことを求めています。「いじめられた子は、先生に話は聞いてほしいけど、一番は友だちがほしいということなのです。自分には友だちはできないかも、と孤独感でいっぱいなのですが、それを教員や親が埋めることはできないのです。学校で二言、三言でも友だちと会話ができると、それだけで一日、がんばることができるのも子どもの柔軟な、強いところです。担任の先生にはいじめっ子を離し、優しい子をそばに配置という配慮を行ってほしいと思います」と、いじめられた子には友だちが寄り添うことの大切さを指摘しています。

    そして、いじめっ子に対しては、「いじめっ子はなかなか心を開きませんよ。多くは親や教員、周囲の人に放置されているからではないかと感じます。いじめをする理由、いじめられた相手の気持ちがわかりません。本来、そういう『気持ち』を育てるのは先生ではなく、親の役目だと思います。でも、親に教えてもらえない子がいるんです。だから、先生が寄り添ってあげられないでしょうか」と教員が寄り添うことを強く願っています。

    このように、いじめ対応で要となるのは、友だちと教員の寄り添いです。全国のいじめ対応の教育実践は、問題行動を起こす子どもに教員が辛抱強く寄り添い、背負っている重荷や言葉にできない内面のいらだちに思いをはせながら話し合うことの重要性を指摘しています。子どもたちは力の支配の中で弱い部分、弱い部分へと攻撃の矛先を向けるものですが、それは同時に人間への信頼や生きることに対する希望を求める声でもあり、そのことを愛おしみ、励まし、支えるのが教員だということを教えてくれます。

    そして、この「寄り添う」という理念は本市の学校教育指導方針でもうたわれています。そこでは互いに心が通い合う教育の実践の四つの重点が示されていますが、その土台として「児童生徒の気持ちに寄り添う教員」が据えられています。私はいじめのない上山の教育のために、これをお題目とせず、常に教育実践と照らし合わせながら深めていくべき課題だと考えます。教員研修に、全国のいじめ克服の教育実践「児童生徒に寄り添う」講座を設け、実際の当事者の話を聞いたり、いじめ対策の先進事例を学ぶなどして、本市学校教育指導方針の内容を実践的に深めていくことを提案します。

ウ 児童生徒に対するいじめ問題の学び合いの充実

     いじめのない学校生活、いじめを拒否する児童生徒の世界観を育成する最大の保障は毎日の授業内容を豊かなものにすることです。いじめ克服の豊かな教育実践の中でも、授業を通して児童生徒の声を聞き取り、つなげ合い、学び合うことの面白さの世界へ児童生徒を誘い込むことの重要性が指摘されています。

    国の方でいま「主体的・対話的で深い学び」いわゆるアクティブ・ラーニングを提唱し、単なる知識の習得だけではなく、いかによりよい社会・人生を築く学びをつくるのかという、大きな改革を進めようとしていますが、本市では国に先駆けて「協働の学び合い」を進め、豊かな教育実践をつくりあげてきた経緯があります。いじめをみんなで考え、その克服に向けた対応をはかる素地ができているものと考えられます。こうした実践の積み重ねを土台にして、いじめ解決を学びの課題とすることを提案します。

    特に今、いじめ克服に向けた道徳教育の重視が方針化されていますが、私はこれからの道徳教育は、従来のような規範意識を外から押しつけるものではなく、揺れる児童生徒の内面から出発して他者との共感に結びつくようなものにしていく必要があるのではないかと考えます。

    児童生徒の内面に共感、普遍的価値を見いだし、社会的絆、希望ある未来につなげる道徳教育の充実を図るためにも、いじめ解決を学びの課題にすることを提案します。いじめられている人がどんなに辛いか、自分がその立場になったらどう感じるか。また、いじめている人はどうしていじめるのか、心の内側、経済・社会背景、家庭環境などいじめる側の人間も辛い面があることを実際の事例で学んでいく必要があります。その学びの中で、いじめの傍観者から仲裁者・共感者への成長を図ることできるのではないでしょうか。

エ 教員の負担軽減

    いじめ克服の要は友だちや教員の寄り添いにあることを述べましたが、現実的には教員の多忙によって児童生徒に十分寄り添えず、教材研究もままならない状態にあります。本市の教員でも過労死ラインを超える勤務実態にある人がいることが報告されています。時々、PTAなどの会合で学校に行く機会がありますが、夜遅くまで職員室の明かりは消えず、家に帰っても持ち帰りの仕事をしている実態にあるようです。いま、教員の負担を抜本的に軽減し、児童生徒とのふれあいや教材研究といった教員本来の働きを増やすために、以下の事項について提案します。

@ 部活指導に関する教員の負担を軽減するために、外部指導員の増員について、学校任せにせず市の教育委員会として方針をもって取組むことを提案します。

A 鶴岡市で実施している非常勤の事務補助員、あるいは日光市で実施している準公務員「学級事務支援員」の配置を提案します。補助員や支援員は平日の授業がある日、教員に代わって資料の印刷や児童の提出物回収、書類の作成などを担います。現場からは「様々な入力事務作業が減った」「プリントの印刷時間を他の仕事にあてられる」といった声が寄せられるなど好評だということです。本市でも事務補助員、学級事務支援員制度を導入し、教員の事務作業の軽減をはかることを提案します。

    以上、いじめ克服に向けた提案に対し、教育長のご所見をお示しください。