一般質問の要旨 (平成31年3月)
質問者 議席番号 1番 守 岡 等 議員
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1 いじめや不登校のない学校づくりについて
いじめを苦にした自殺、警察対応に至るような非行、インターネットを媒介とした自殺幇助未遂、そして不登校やその延長としてのひきこもりなど、教育をめぐる深刻な問題が本市内外でも起きています。
こうした教育をめぐる病理現象の背景には、競争原理とそれに基づく詰め込み教育、経済格差と貧困問題、そして家庭の教育力の低下などが客観的な問題として横たわっているのではないかと考えられます。そうしたことが反映して、自分でものごとを解決する力や自己肯定感を持てない子どもたちが増えているのではないかと考えられます。
教育の究極的な目標は、様々な困難に立ち向かい、自分で問題を解決していく自律性を養うことにあります。国の方針としても、これまでの詰め込み教育から脱し、人生を主体的に切り開くための新しい学力観を示し、教育改革を進めようとしています。
私はこれまで、現在の教育問題を解決するためには根本的な国の制度改善が必要であり、それを進めるためには一定の長期的スパンが必要があり、そう簡単に問題解決が図られる見通しはないと考えていました。
しかし、最近、東京都千代田区立麹町中学校や大阪市立大空小学校の教育実践を知る機会があり、一つの学校がその気になれば、今日の教育問題を克服し、いじめや非行、不登校のない楽しい学校をつくることができるのではないかと思うようになりました。
麹町中学は、子どもたちが社会の中でより良く生きていけるように、「自ら考え、自ら判断し、自ら決定し,自ら行動する資質、すなわち自律する力を身につけさせる」という理念のもと、固定観念にとらわれない改革を進め、宿題の廃止、固定担任制の廃止をはじめとした学校改革を進めました。
大空小学校は、日々の授業など学校教育に保護者や地域の人々が参加し、さらには性別や年齢はもちろんのこと、障碍の有無や家庭の事情等に関わりなく、みんなが学び合える活動を通していじめや不登校のない学校をつくりあげています。「自分がされていやなことは、人にしない、言わない」というたった一つの規則の下で、やはり自律する人間の育成に励んでいる小学校です。
こうした教育実践に学び、本市においていじめや不登校のない学校づくりを進めるために、以下の事項について提案するものです。
(1)全員担任制の導入
今日の教育問題の象徴としていじめの問題があります。私たちが子どもの頃にもいじめはありましたが、もっとわかりやすい形だったと思います。問題のある子どもはその外見や態度から一目瞭然で、そうした子どもを起点にして問題行動が起きていました。しかし、今日では厳しい管理指導の下、表面的な問題行動が影を潜める一方で、見た目ではわからない部分で、普通の子どもたちの間で陰湿ないじめが広がっています。学校のみならず、社会全体にいじめの構造が広がっています。
いじめ問題を研究する脳科学者は、「いじめは本来人間に備わった機能による行為であるがゆえ、なくすことはむずかしい」と結論づけています。人間は共同体をつくるという戦略のもと生き延びてきた生物であり、共同体からはみでる異質な者に対しては制裁行動が発生するというものです。「規範意識が高い集団」ほどいじめが起こりやすく、部活動で言えば一緒にいる時間が長く、ハーモニーを重視する吹奏楽部がもっともいじめが発生しやすい空間だという教育評論家もいます。
さらに、とりわけ日本人は同調圧力が強いという問題があります。みんながいじめているから、自分も参加しなければ次には自分が標的になるという同調圧力は、教師すらも傍観者にさせてしまう威力を持っています。
こうしたことから、いじめをなくすためには子どもたちの集団所属意識・仲間意識を低くして、集団をなるべく固定化しない方法が最も有効だと指摘され、そのためには、習熟度別クラスなどクラスの人間関係が入れ替わるような授業編成を取り入れたり、合同授業など、集団が固定化し、関係が濃密になりすぎない工夫を行う必要があります。
またこの間、いじめの問題で指摘される教師が傍観者になってしまう問題も、担任が固定化していることと無関係ではありません。複数の教師がいじめの事例に関係することで、こうした同調圧力による傍観者化は防ぐことができます。
このように、とりわけいじめ対策を進める上で、固定担任制から全員担任制に移行し、なるべく流動性のある集団づくりを進めていくことが必要だと考えます。
また、学校経営上も固定担任制から学年担任制に移行した方がメリットがあるのではないでしょうか。
いま、小中学校では学級を基本単位にして様々な教育活動が行われています。そして、1クラス1担任を原則に、学級経営が行われています。固定担任制はクラスの結束をつくりやすいというメリットがありますが、担任の教師の力量に差があることから、「勝ち組」「負け組」の意識が子どもたちの間に広がりやすい側面もあります。そして、そのことが、保護者のクレームを生み出す要因にもなりかねません。
また、固定担任制は一人で問題を抱えがちで、学年全体、学校全体で問題意識を共有するという点でも弱点を有します。
それぞれの教師は生徒を観察する能力が高い人、保護者対応が得意な人、ICTに詳しい人など、様々な能力・得意分野を持っていると思います。そうした様々な個性をいかし、学年全体の運営に変えていくのが全員担任制です。学年の全教員で学年の全生徒をみる全員担任制を導入し、チームとして学年経営を行うことはいじめのない学校をつくる上でも、学校運営の安定化の上でも有効だと考えます。教育長のご所見をお示しください。
(2)コミュニティ・スクールの整備
今日の様々な教育問題を解決するためには、学校の教師集団の力だけでは限界があると感じています。自律性を持つ子どもを育成するためには、保護者をはじめ、地域全体で当事者意識を持って学校を支える取組が必要であると考えます。
そうした地域住民が参加する開かれた学校をつくるために考えられるのが、学校運営協議会を設置するコミュニティ・スクールです。これは2004(平成16)年に制度化された新しい学校教育の仕組みで、学校・地域・保護者の代表からなる学校運営協議会で学校の運営方針を協議するもので、2018(平成30)年4月現在全国で5432校が指定されています。
全国のコミュニティ・スクールは大きく二つのタイプに分かれているようです。一つは学校運営協議会が第三者機関的に学校運営をチェックし、意見を述べるというタイプです。
ただし、このタイプは保護者や地域住民のクレーム発表機関にもなりかねず、むしろ対立・軋轢を生みやすい形態だと言われています。それに対する、もう一つのタイプが地域支援本部という形で、学校の実践を支援するタイプの学校運営協議会です。保護者や地域の方が、学校を批判したり評価するのではなく、当事者として建設的な意見を出したり、実際に教育ボランティアや地域支援者として活動に参加するというものです。
本市においては現在、学校運営協議会の設置によるコミュニティ・スクールの実践は行われておらず、学校評議員会や民生児童委員会との懇談会、地区会長との懇談会が実施されているようですが、やはり外からものを言う的な性格が強く、主体的に学校運営に参加するものとはなり得ていません。やはり当事者意識を持った学校運営協議会を設置したコミュニティ・スクールを整備し、実際に学校に足を踏み入れ、子どもたちや教師とふれあう中でボランティアや支援活動を行うような取組が必要ではないかと考えます。
大空小学校では、学校の教室に入ることのできない不登校の子どもたちの相談相手になったり、教室を抜け出す機会の多い発達障碍の子どもたちの対応にあたるなど、地域住民が積極的に学校と関わり、地域全体で当事者意識を持って学校の活動に参加しています。そうした地域全体が支援しているという意識が子どもたちの心に響き、自律性と思いやり育成の支えになっています。
千葉県市川市では、地域の大人たちがいじめ問題について研修を受け、基本的に6人1組で市内の小中学校を訪れ、いじめ防止を目的とした授業に「地域支援者」として参加しています。普段の授業では自分のキャラクターを演じ、それゆえ本質にたどり着く前の前提で終わりがちな子どもたちが、地域の大人の前ではキャラクターを脱ぎ捨てて、いじめ問題の本質に自分をさらけ出すという効果が生まれているようです。
本市においても日常的に地域住民が学校を訪れ、子どもたちの見守りやボランティアなどの工夫を凝らした支援活動を行なう必要があります。また、最近は家庭に問題をかかえる事例が増え、そのことが子どもの育成に大きく影響しています。その最たるものが虐待ですが、家庭に問題があるとわかっていても、学校の教師が家庭問題に介入するには限界があります。そうした家庭対策、保護者対応を進める上でも、地域住民による対応は有効なものではないでしょうか。
このように学校運営協議会を設置する中でコミュニティ・スクールの整備をはかり、地域住民が教育ボランティアや地域支援員として具体的な活動ができるような環境をつくり、保護者や地域住民の参加による開かれた学校を目指すべきだと考えますが、教育長のご所見をお示しください。
(3)普通学級と特別支援学級の統合
大阪市立大空小学校の特徴の一つにいじめの問題や障碍児への対応も含め、様々な問題を学び合いの課題にするということがあります。多様な人間が集まれば様々な問題が発生するのは当たり前ですが、そうした多様性の中で生まれた矛盾を学び合いの課題にし、子どもたちが自ら考え、解決の方策を見いだしていくことによって、いじめや不登校がなくなったことが報告されています。当然、教師はヒントを与えますが、子ども自身が自分で気づくことができれば必ず頭の中に残り、実となって実践に活かされるということです。
発達障碍を抱える子どもたちも増えていますが、そうした子どもたちと区別することなく、多様な個性と関わりながら学びあうことが、実は大きな意味を持ち、思考力の向上につながっているということです。大空小学校の全国学力調査の結果では思考力が上位県よりも高いことが報告されています。これは日常生活の中で多様性にふれあい、それを学びの課題とする中で、考える習慣が身につき、思考力の育成が図られた成果であると考えられます。
現在、本市ではすべての学校に特別支援学級が設置され、交流学習をはじめ、一緒に活動できる場を数多く設けているということですが、私は多様な価値観を学ぶ中で、自律性をもった子どもたちを育成するためには、普通学級と特別支援学級の統合を図り、同じ空間で学ぶ機会を抜本的に増やすべきだと考えます。保護者の迷いや成長に見合った指導、学力の問題など様々な懸念材料はありますが、大空小学校のみんな一緒の実践からみて、そうした懸念事項が払拭できるどころか、自律性、思考力の育成の上で大きな成果を生み出しています。多様な価値観の習得と思考力の向上のために、普通学級と特別支援学級の統合を図り、インクルーシブ教育を充実・発展させるべきだと考えます。教育長のご所見をお示しください。
(4)不登校特例校の設置
今日の重要な教育問題の一つに不登校の問題があります。本市においても20名前後の不登校の子どもたちがいると報告されています。その背景には様々な要因があると思われますが、そのままひきこもりに移行させないために、一人ひとりに懇切丁寧な対応が必要であると考えます。
国は2005(平成17)年に学校教育法施行規則を改正し、不登校生の実態に配慮した特別な教育課程を編成する不登校特例校の設置を認めました。この不登校特例校は、学習指導要領にとらわれず、不登校生の児童・生徒にあったカリキュラムを整えており、学年の枠を越えたクラス編成、体験型学習・ボランティア活動の重視、小グループ指導や個別学習といった集団生活が苦手な子どもたちに配慮した教育内容となっています。
今日では全国に11校(2017年度)の不登校特例校が開設されているほか、学校の外に分教室を設置するところもあります。
本市において、学校の一室を開放して不登校の子どもたちが通いやすい工夫を行い、まわりの暖かい援助で、不登校を克服したという事例もあるようですが、やはり学校という固定的な空間における同調圧力になじめない子どもたちもいるようで、そうした子どもたちを無理に固定的なものに閉じ込めるよりも、新しい発想でその子たちに合った教育内容を示していく方が効果的ではないかと考えます。また、卒業要件を満たす上でも、制度化した不登校特例校・分教室を整備していく必要があります。本市における不登校特例校・分教室の設置について教育長のご所見をお示しください。
(5)道徳教育の充実
ア 主体性を育成する道徳教育の実践に向けた教員研修の実施
学習指導要領が改訂され、「特別の教科 道徳」が新設されました。すでに小学校で実施され、2019(平成31)年度からは中学校でも実施されます。「特別の教科 道徳」が新設された背景にはいじめ問題への対応強化があります。当時の文部科学大臣は「いじめに正面から向き合う『考え、議論する道徳』への転換に向けて」というメッセージを公表し、「教師に対してぜひ、道徳の授業の中で、いじめに関する具体的な事例を取り上げて、児童生徒が考え、議論するような授業を積極的に行っていただきたい」と述べました。
私は道徳の教科化が必要であるかどうかという点では疑問がありますが、今回の道徳の教科化の流れの中で、これまでの修身のような価値観の上からの押しつけではなく、いじめをはじめとした学校生活における困難性を自らの頭で考え、問題解決をはかるという、今後の自らの生き方や、相手の立場を考慮して物事を判断する能力を身につけるという視点が重視されたことは評価します。そういう意味ではみんなで同じ答えを求めるこれまでの教育手法から、「考え、議論する道徳」へ転換するための主体的・対話的な深い学びを実践する絶好の機会としてとらえ、思考力・判断力の強化をはかる視点からの道徳教育の充実が重要になるのだと考えます。
しかし、そうした理念は一定確立しつつも、実際に道徳の授業でいじめに関する具体的な事例を取り上げて子どもたちが主体的に考え、議論する授業を行うことは、現場の教師にしてみれば大変難しいことだと思います。学習指導要領にはいじめという言葉はないそうですし、教科書や教師向けの説明書をみても、「考え、議論する道徳」といじめ防止を関連付けた説明はないようです。なぜいじめが起きるのか、いじめ防止につながる授業とはどのようなものか、教師は知りたがっています。こうした実践的な研修を行って、教師の理解を培い、授業改善を図っていく必要があるのではないでしょうか。
また、いじめ問題に限らず、これまでの価値観の注入ではない、「考え、議論する道徳」をするためにはどうすればいいのか、現場の教師たちも悩んでいます。
たとえば、小学校道徳のある教科書に掲載されている「星野君の二塁打」という教材があります。これは野球大会出場を決定する最終試合の話で、同点の最終回裏の攻撃、ノーアウトランナー一塁の場面で、星野君が監督のバントという指示に反して強攻策に出た結果、二塁打を放ち、結果的にこの試合に勝利することができたものの、監督はバントの指示に背いた星野君に「共同の精神や犠牲の精神の分からない人間は社会の役に立つことはできない」と話し、大会への出場停止処分を下したという内容です。
この教材には「決まりを守る」という獲得目標が定められており、この教材を主体的・対話的な深い学びの視点から扱うにはどうしたらいいのか、現場の教師も悩むところです。単に「決まりを守る」という規範意識の注入ではなく、星野君の行為を多面的に分析し、スポーツの主体は選手であるという欧米では当たり前な選手と監督・コーチの関係性や、そこから派生する監督・コーチによる強圧的な指導・暴力問題、またいまスポーツ界で話題になっている勝利至上主義の問題を考える契機にもなります。
このように道徳教科において主体的・対話的な深い学びを実践するためには、これまで以上に教師の指導方法の熟練が求められ、教師自身の主体的・対話的な深い学びが必要となります。様々な研修も行われていると思いますが、哲学・倫理学の基礎に基づいた「考え、議論する道徳」の授業を自信を持って進められるような実践的な研修が必要であると考えます。教育長のご所見をお示しください。