■大石邦子さんの講演より−悲しみを看護婦さんはともに背負って−?
 大石邦子さんという、重い障がいを背負いながら人々に希望を語り続ける方がいます。この世で一番美しいと思う文章を贈ります。自分の子もこの看護婦さんのような感性豊かな人になってもらいたいな。
 「桜の季節でした。会津には鶴ヶ城というお城があり、夜桜の季節になるとぼんぼりが灯って桜見物の人で賑わいます。私はもう自分の足では歩けないだろうことを察していました。私なんか生きていても生きていなくても、世の中少しも変わりなく動いていく、そんな落ちこぼれ感にさいなまれて寝ている私の下には、のどかな夜桜見物の人の足音。そんなある夜でした。色々考えているうちに一気に頭に血が上って、何がなんだか分からなくなってしまったのです。私はあらん限りの大声で泣き叫び、手当たり次第に物を投げつけて大暴れをしました。深夜のことでしたから、その物音は病棟中に響いたと思います。看護婦さんが飛んできて「どうしたの、クーチャン」と言ったきり、茫然と立ちすくんでいます。その看護婦さん目がけても物を投げつけます。投げつける物がなくなると、看護婦さんの着ていたカーディガンを引っ張ったり、叩いたりして泣き叫んだのですが、彼女は何も言わない。ただじっと私を見つめているだけなのです。どうして怒らないんだと思います。そのうちに私はもう精も根も尽き果てて、声も涙も出なくなってしまいました。そんな私を見届けるように看護婦さんはおもむろに床に膝をつくと、私の頭を抱き寄せるようにして涙を拭いてくれました。その時です。「ちょっとだけ、桜を観てこようか」。それは全く思いがけない言葉でした。看護婦さんは私自身も気づかない心の向こうを見通すようにそう言うと、ヨレヨレになったカーディガンを私に着せ、私を背負って真夜中の細い階段を下りていってくれたのです。私はその看護婦さんの背中の温かさを、今も忘れていません。ああどうしてあんな馬鹿なことをしたんだろう。看護婦さんの背中の温かさが、私にそう思わせたのです。青春時代を病み、障害を背負って生きていかなければならない私のこの悲しみ、空しさを、この看護婦さんは共に背負ってくれたのです。私の心を分かってくれる人がいる。そう思えることが、その後生きていく上でどれほど大きな力になったか分かりません。一人の人間として本当に大事にされていると実感する時、人はきっと変わっていきます。」